映画、本、NBA、金融……週休5日で働く元経済紙記者が気ままにつむぐ雑記ブログ

シンクの水詰まり・水漏れを解決! バーボンで祝杯

 今日、キッチンのシンクをほじくり返して汚水汚泥(?)を吸い上げ、水づまりを直した。鼻が曲がりそうなほど臭い汚水をポンプで組み上げてトイレに流し、ゴム手袋をして詰まってカルシウムみたいになっていた臭い塊を掴んでは取り出し、最後はお湯と重曹で流したら、きれいに流れるようになり、水漏れもなくなった。

今は、非常に清々しい気分だ。家中で一番汚い場所にどっぷりつかって解決したからか、家事のことなら何も怖くない気分だ。風水上、きっとお金の巡りもよくなるに違いない。恋愛運も仕事運も上昇か!?

 

それにしても、このマンションに越してきたから3年たったが、水回りの状態は最初から最悪だったし、あの塊の量と状態は、どう考えてもここ3年でできたものではないなと思われることから、やはり、このマンションは専門の業者によるクリーニングが行われていないなというのを確信した。

入居したときから、コンセントまわりやら水回りやらが最悪だった上、水もれもひどかったので、その辺は認識していたのだが、シンクの水漏れと水詰まりが表裏の関係にあることを初めて知った日だった。これも社会勉強と言えるのかな。

何にせよ、ずっと悩まされていた水回りの問題を年末に解決できたのは、本当によかった。すっきりした気分で年が越せることを祝して、バーボンで乾杯している。「フォアローゼズ」って、こんなに美味しかったっけ。

原稿料のディスカウントで、ついでに思ったこと

フリーで書いた原稿料の一部を請求し損なって、今日、急遽請求した。自身がライターに発注していた頃は、ご丁寧にも毎回、「請求書の締めはいつまでですよー」と知らせていた。立場が逆になってみると、そんな親切な委託元ばかりではなく、当然、自分で管理してこちらから動き出さなければいけないケースもたくさんあるわけだが、それにしても、初仕事の際に請求の件についてまったく説明を受けなかったのは、今回が初めてだった。

基本的に、委託を受ける側である私の落ち度なのだが、依頼主である編集者の頼りない仕事ぶりを見てきていたこともあり、ああやっぱりなと腑に落ちるところもあった。まあ、愚痴っても仕方ない。私が悪いのであり、こういうことは自分でしっかりコントロールしなければ。

いずれにしても、こんなタイミングで先方にも迷惑をかけたであろうことから、いく分ディスカウントして請求することにした。

 

今回、値引きをした際に、フリーの仕事を始めたばかりの頃を思い出した。原稿料を決めて受ける仕事もあれば、原稿を書いた時間給で受ける仕事もあるのだが、この時間給というやつがクセもので(私だけ?)、当初は値引きばかりして、おっかなびっくり請求書を発行していた。初回の手探り状態で、必要以上に時間がかかってしまったしなとか、先方の苦しい台所事情も知っているし…とか、8のマジックに頼って◯◯◯98円で請求してみたりとか、なんというか、わびしい努力をしていた。要するにチキンだったのだ。

その後、週休5日の仕事もあり、また、原稿依頼も増え、さらには持ち前の図々しさが息を吹き返す中で、原稿料のディスカウントはしなくなっていたのだが、今回の出来事があって、ちょっと初心を思い出したような気分になった。

 

値引きといえば、Web媒体を起こした知り合いや、ベンチャー企業を経営している知り合いが何人かいるのだが、こういう人たちは、BtoBで見積もりや請求書を出す際、基本、弱気というか、かなり遠慮した額を出す人が多いという印象がある(相場観がまだつかめていないという面が大きいのかもしれないけれど)。もちろん、中には大胆な金額を請求する人もおり、千差万別なのだろうが、日本においては、自分の仕事、自分たちの事業にはこれこれこういう価値があるのだから、これだけの額を請求・要求する、ということをはっきりと主張できる人は海外と比べると少ないように思う。

なんてことを考えながら、自分が事業主になった際には、淡々と値付けできるような立ち位置にいたいなと思ったのだった。

 

 

予約の取れなかった本命店で忘年会を楽しむには

忘年会シーズンまっさかりで、この時期、お店の予約が思うようにとれない。当たり前といえば当たり前なのだが、前もって計画して行動するのが不得手なため、どうしても余裕のないタイミングで店を探す羽目になってしまう。

でも、最近、そんな予約不得手人間でも人気店を堪能できる方法を確立し、気の置けない友人との年末の宴を楽しんでいる。

どんな方法かというと、それはいかにもシンプルで、もったいぶって書くまでもないことなのだが、7時台のゴールデンタイムから2時間ほどたってから、フラリとお目当ての店を訪れてみるというものだ。おそらく、やってる人はやっている、、そういう類の至極単純な方法だ。

この時期の飲み会は、会社や組織などの単位で催されるものが多いため、たいてい始まりは会社引け後の6〜7時台のものが多い。そこから店の利用が一巡する時間として、だいたい2〜2時間半後くらいの時間になると、いったん空席が出始める。もちろん、人気店なら2巡目の予約が入っていたりもするのだが、それでも、一巡後のタイミングというのは、やはり予約なしの空席というものが出ているケースが多い。店側も、そこまで回転数を厳密に計算して予約を受けていないのか、一定の割合でキャンセルが出ているのかはよくわからないが、一巡後はたいていそういう空いた席が出ていたりする。もちろん、超のつく人気店は例外かもしれないが。

じゃあそれまでの時間をどう過ごすのだ、ということになるのだろうが、そこは人それぞれ、グループそれぞれだろう。終わらなかった仕事に費やすでもいいし、ウィンドウショッピングや買い物を楽しむでもいい。私が最近やっているのは、7時台にひとまず予約なしでも入れるフランチャイズ店などに飲み相手とともにフラリと入り、1〜2杯のビールなどをひっかけ、小腹を満たしてしまうことだ。そして2軒めに本命の店にって、日本酒やワインなどと美味しい料理を注文する。最終的な会計は意外にも、1件目から本命の人気店などに入ったときと大差がなかったり、逆に安く上がるというケースもあったりする。

まあ、前もって本命の店に予約を入れておき、仕事上がりにすぐに本命の店で楽しめる、というのがやはり一番いいのだろうけど。

知る人ぞ知る『TAXi』ドラマ版、ハチャメチャな筋書きが意外に楽しめるかも

リュック・ベッソンのヒット映画『TAXi』をモチーフにしたTVシリーズがあることは、それほど知られていない。「TAXI ブルックリン」は、米仏合同で制作されたドラマシリーズで、ニューヨークを舞台にストーリーが展開される。原作映画と同様、運転のヘタな刑事と刑事にしょっぴかれた敏腕タクシー運転手がコンビを組んで捜査にあたるという筋書きだ。

そもそも、問題のあるタクシードライバーと警察が協力して極悪犯罪の捜査に当たるという話自体ありえなそうな気がするのだが、このドラマ版はそれに輪をかけて現実ではありえなそうな無理のあるストーリー展開が続く。無線やら衛星電話やら携帯電話やらインターネットがあるこのご時世、停電の晩に警察署が市警各署と連絡不能になってしまって襲ってきたギャング集団とサシで闘う展開になったり、主人公の刑事の元夫であるFBI捜査官が毎回市警の分署にひょこひょこ現れて機密情報を漏らしたり、件のタクシードライバー以外でも、周囲の友人・知人が気軽に捜査に加わって機密情報に触れたり……ありえん、いや、それはないでしょ、という筋書きがてんこ盛りなのだ。

そして、あり得ないストーリー展開は回を重ねるごとに”冴え”渡っていき、1シーズンの最終話はとんでもない事件が重複して起こってもはやカオスの状態に…。

この展開、どうやって収拾するんだろうとヤキモキしてしまったが、案の定、待てど暮らせど第2シーズンはスタートしなかった…。あの無理くりな展開を筋道立ててさらに発展させるのは至難の業でしょうね。

でも、登場人物のキャラが際立っていて魅力的だったし、意外と楽しめたので、あり得ないストーリー展開を笑って楽しむというスタンスでみるなら、けっこうおすすめのドラマかもしれないと思ったり。

 

 

ありえないコンビ

ありえないコンビ

 

 

三崎の猫とトンビ

先日、三崎港に行って漁港近辺をブラブラ歩いてきた。魚市場や魚屋などもみて回ったのだが、気づいたのがトンビの多さと猫の多さだ。

漁港界隈から城ヶ島などの公園や景勝地まで、至るところをトンビが飛び回っており、そして、店舗や公園など、人の出入りするところに野良らしき猫が数匹、気ままに歩いている。

きっと、おこぼれの魚や、魚をおろしたあとの使わない部位などをもらえるのだろう。観光客からもらえる食べ物も当てにしているのかもしれない。どの猫も肉付きがよく、頭上を飛んでいたトンビも心なしかよく肥えているし、何よりも数が多い。

私の田舎もトンビがたくさんいたが、ここまで多くはなかった。漁港にはトンビがいるものなのだ(?)と、インプットされた日だった。

それにしても、人なつこい猫が多かった。猫に餌を上げている人をみかけたこともあり、社交辞令も兼ねて魚屋のおばさんに「猫が愛されているいいところですね」と話すと、「そうですね。でも猫をいじめる悪い人もいるので気をつけないと」と返された。

まあ、それはそうで、だからこそどの地の野良猫もどれほど人懐こくとも警戒心を忘れないものなのだが、ここの猫は見知らぬ人に対してもいい表情をするなと思った。

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魚屋にはマグロと地魚が並べられていた。店の横には、魚をさばいた後に残った部位などが捨てられた大きなバケツがあり、その付近に近所の野良猫が数匹座り込み、目を細めて人待ち顔で通りを眺めていた

ピークシーズンにどれくらい観光客が来るのかは知らないが、この日は人もまばらで、訪れる人も猫もゆったりと時間を過ごしていたように思う。京急の路線が港まで達していたら、観光客の流れも今とは違っていて、街ももっと観光開発されていたのかもしれない。どちらがよかったのかは人それぞれで、立場によって違うのだろうが、ところどころに見られる空き店舗や、打ち捨てられた遊具や道具などをみていると、その現実感に意味もなくホッとしたのだった。

 

 

 

 

さよならスマホゲーム

習慣的にやっていたスマホゲームをすべてアンインストールしたら、1日のうちで使える時間が意外と長いことに気づいた。

通勤途中や仕事休憩など、「すきま時間」と思っている時間にゲームで自然回復する「体力」を無駄にしないようにとアプリを立ち上げていた習慣がパタリとなくなると、「すきま」と思っていた時間がそれなりに意味ある時間だったということに気付かされる。読みかけの本や電子書籍を読んだり、英語学習アプリを聞いたり、音楽アプリで新曲を試したり。仕事中であれば、ぼーっと過ごす時間の中で新しい企画の着想を得たり、勉強したばかりのプログラムのおさらいをしたり。改めて、ゲームに「依存しない」生活をしてみると、そうした時間の積み重ねから得るものって無碍にできないなとしみじみ思う。

 

ゲーム、楽しいんだけどね。レベルが上がったり「魅力」が上がったりするとうれしいしモチベーションが上がるから、どんどん頑張ってしまって、気づいたら暇さえあればアプリを立ち上げていて、ゲームに縛られた生活をしてしまっている。そういう束縛から離れてうまく楽しめる人なら問題ないのだろうけれど、ハマる人は注意が必要だ。私は間違いなく後者で見境がないから、ゼロか100かになってしまう。だから、アンインストールで対応するしかなかった。

だが、引継ぎIDを発行しており、完全にこれまでの積み重ねを消去したわけではない。つまみ食いくらいで楽しめる境地に達したら、またやってみるのも悪くないかななどと考えているのだが、そんな境地に達する日はやってくるのかしら。

 

後ろの座席は何をする人ぞ〜バスの死角〜

最近、バスに乗る機会が多いのだが、今さらながら気づいたことがある。電車と違って、バスは真後ろという100%死角に赤の他人が座るのが常であり、治安のよくない環境下で乗ったなら、かなり怖いだろうなということ。

今日、バスに乗っていて、真後ろの座席に座った人物が、何やらスプレーをどこかに向けてシューシュー吹きかけていたのが気になり、ふとそんなふうに思った。真後ろで起こっていることだから後ろを振り向かない限り確認のしようがないのだが、しかしながら、見ず知らずの他人に向かって180度体の向きを変えて向かい合うのは、それなりの決心が必要だ。

女性は少し間をおいては、どこかに向けてスプレーを吹きかけており、なんだか落ち着かなかったので、私は首を少し振り返り気味にして横に向け、女性の所作を気にしている素振りを見せることにして、女性に気になっていることに気づいてもらおうと試みた。すると女性は、(音から察するに)今度はほかの場所に向けてスプレーをシューシューやりだし、それを受けてか、後方の座席の男性が大きな咳払いをするのが聞こえた。直後の停留所でその人物は降車していき、その時初めて、件の人物がマスクをした女性だということを知った。真後ろの脅威が去ったのはよかったが、あのスプレーで一体何を吹きかけていたのだろう……。

でも、よくよく考えてみたら、電車に乗っているときでも、満員電車の中では、自分の真後ろに自分の方を向く形で他人が乗ることなど、ザラにある。そう考えると、日常は死角だらけで、潜在的な危険に満ちているんだよなと今さらながら思う。普段は、そうした状況を危ういとも思わずに過ごしているので、私たちはどんどん日常に潜む危険性に疎くなっているのかもしれないなぁ。