映画、本、NBA、金融……週休5日で働く元経済紙記者が気ままにつむぐ雑記ブログ

「体幹」でNBAも変わった!?

けっこう前からの話ではあるが、近年、どのスポーツでも「体幹」を意識したアスリートが増えた。というか、今やアスリートにとって、「体幹」を重視した体の使い方やトレーニングを行うことは常識といってもいいものなのかもしれない。

それは、格闘技の世界だけでなく(武道や格闘技の世界などで言われだしたイメージが強いもので)、球技の世界でも同様で、NBAのゲームをみていても一目瞭然だ。

私が夢中になってNBA観戦していた頃(シカゴ・ブルズの初期三連覇前後)、NBAプレイヤーの動きはもっと身体能力任せ、筋力任せで、ねじったり、体が激しく上下する不安定なものが(今よりは)多かったように思う(そんな気がする)。それに対し、最近の選手のプレイは、上下のブレが少なく、体の中心軸がしっかりと安定したものが多いように思う(やはりそんな気がする)。

もとより今のNBA選手は科学的なトレーニングを取り入れる選手が多くなったということもあるのだろうか。ともかく、スマートなプレイをする選手が多くなったような印象を受ける(そうはいっても、たとえばジョー・デューマスのように、30年前でも体幹バツグンに強い選手は、特に一流選手の中にはたくさんいた)。

非効率でドラマチックなプレーの魅力

ただ、その一方で、プレーから淡白な印象を受ける選手も多くなったような気がする。いや、多分に私の主観なのかもしれないが。

それに、淡白にみえるプレーで得点できるなら、チームにとってそれ以上にいいことはない。簡単そうに得点できるチームほど強いチームーーそんな暗黙の共通認識のようなものがスポーツの世界にはあるように思う。瞬発力とともに持久力が問われるバスケットボールの世界ではなおさらだ。

だが、淡白さとは真逆で、これでもかというほど上下左右の揺さぶりをかけてスキルを駆使した挙句、放ったシュートがネットに吸い込まれるのか否か見届ける時間が長いような、ハラハラドキドキさせられる(個人技による)得点シーンも、やはり心が揺さぶられて、いいものだ(ただ、華麗な得点シーンが多くても、ゲームに負けたら本末転倒と思うファンも多そうだけど)。

そんなことを先日のトロント対ボストンのゲームで思ったのだった。この試合、トロントはカワイ・レナードを中心に、実に自然に、淡白に得点を重ねていた。対するボストンは、スムーズなパス回しからのスリーも結構決まっていたのだが、要所要所でのカイリー・アービングのアクロバティックな得点シーンがやはり印象に残った。
カイリーはゲーム前の経緯などもあり、この試合はアシスト(18アシストを決めた!)やチームの統率に注力している面が強かったのだが、そうした中でも、勝負どころではいつもの大きなゆさぶりと細かく素早いスキルを駆使したアクロバティックなプレーで決定機を仕留めていた。効率性なんてものをハナっから考えていないかのようなプレーはドラマチックで、やはりどこかしら心を鷲掴みにされるような魅力があるんだよなぁと思った。一方で、効率・効果を追及した究極の”流れるような”チームプレーをみるのもまた、バスケ観戦の醍醐味なのだけれど。