映画、本、NBA、金融……週休5日で働く元経済紙記者が気ままにつむぐ雑記ブログ

知る人ぞ知る『TAXi』ドラマ版、ハチャメチャな筋書きが意外に楽しめるかも

リュック・ベッソンのヒット映画『TAXi』をモチーフにしたTVシリーズがあることは、それほど知られていない。「TAXI ブルックリン」は、米仏合同で制作されたドラマシリーズで、ニューヨークを舞台にストーリーが展開される。原作映画と同様、運転のヘタな刑事と刑事にしょっぴかれた敏腕タクシー運転手がコンビを組んで捜査にあたるという筋書きだ。

そもそも、問題のあるタクシードライバーと警察が協力して極悪犯罪の捜査に当たるという話自体ありえなそうな気がするのだが、このドラマ版はそれに輪をかけて現実ではありえなそうな無理のあるストーリー展開が続く。無線やら衛星電話やら携帯電話やらインターネットがあるこのご時世、停電の晩に警察署が市警各署と連絡不能になってしまって襲ってきたギャング集団とサシで闘う展開になったり、主人公の刑事の元夫であるFBI捜査官が毎回市警の分署にひょこひょこ現れて機密情報を漏らしたり、件のタクシードライバー以外でも、周囲の友人・知人が気軽に捜査に加わって機密情報に触れたり……ありえん、いや、それはないでしょ、という筋書きがてんこ盛りなのだ。

そして、あり得ないストーリー展開は回を重ねるごとに”冴え”渡っていき、1シーズンの最終話はとんでもない事件が重複して起こってもはやカオスの状態に…。

この展開、どうやって収拾するんだろうとヤキモキしてしまったが、案の定、待てど暮らせど第2シーズンはスタートしなかった…。あの無理くりな展開を筋道立ててさらに発展させるのは至難の業でしょうね。

でも、登場人物のキャラが際立っていて魅力的だったし、意外と楽しめたので、あり得ないストーリー展開を笑って楽しむというスタンスでみるなら、けっこうおすすめのドラマかもしれないと思ったり。

 

 

ありえないコンビ

ありえないコンビ

 

 

三崎の猫とトンビ

先日、三崎港に行って漁港近辺をブラブラ歩いてきた。魚市場や魚屋などもみて回ったのだが、気づいたのがトンビの多さと猫の多さだ。

漁港界隈から城ヶ島などの公園や景勝地まで、至るところをトンビが飛び回っており、そして、店舗や公園など、人の出入りするところに野良らしき猫が数匹、気ままに歩いている。

きっと、おこぼれの魚や、魚をおろしたあとの使わない部位などをもらえるのだろう。観光客からもらえる食べ物も当てにしているのかもしれない。どの猫も肉付きがよく、頭上を飛んでいたトンビも心なしかよく肥えているし、何よりも数が多い。

私の田舎もトンビがたくさんいたが、ここまで多くはなかった。漁港にはトンビがいるものなのだ(?)と、インプットされた日だった。

それにしても、人なつこい猫が多かった。猫に餌を上げている人をみかけたこともあり、社交辞令も兼ねて魚屋のおばさんに「猫が愛されているいいところですね」と話すと、「そうですね。でも猫をいじめる悪い人もいるので気をつけないと」と返された。

まあ、それはそうで、だからこそどの地の野良猫もどれほど人懐こくとも警戒心を忘れないものなのだが、ここの猫は見知らぬ人に対してもいい表情をするなと思った。

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魚屋にはマグロと地魚が並べられていた。店の横には、魚をさばいた後に残った部位などが捨てられた大きなバケツがあり、その付近に近所の野良猫が数匹座り込み、目を細めて人待ち顔で通りを眺めていた

ピークシーズンにどれくらい観光客が来るのかは知らないが、この日は人もまばらで、訪れる人も猫もゆったりと時間を過ごしていたように思う。京急の路線が港まで達していたら、観光客の流れも今とは違っていて、街ももっと観光開発されていたのかもしれない。どちらがよかったのかは人それぞれで、立場によって違うのだろうが、ところどころに見られる空き店舗や、打ち捨てられた遊具や道具などをみていると、その現実感に意味もなくホッとしたのだった。

 

 

 

 

さよならスマホゲーム

習慣的にやっていたスマホゲームをすべてアンインストールしたら、1日のうちで使える時間が意外と長いことに気づいた。

通勤途中や仕事休憩など、「すきま時間」と思っている時間にゲームで自然回復する「体力」を無駄にしないようにとアプリを立ち上げていた習慣がパタリとなくなると、「すきま」と思っていた時間がそれなりに意味ある時間だったということに気付かされる。読みかけの本や電子書籍を読んだり、英語学習アプリを聞いたり、音楽アプリで新曲を試したり。仕事中であれば、ぼーっと過ごす時間の中で新しい企画の着想を得たり、勉強したばかりのプログラムのおさらいをしたり。改めて、ゲームに「依存しない」生活をしてみると、そうした時間の積み重ねから得るものって無碍にできないなとしみじみ思う。

 

ゲーム、楽しいんだけどね。レベルが上がったり「魅力」が上がったりするとうれしいしモチベーションが上がるから、どんどん頑張ってしまって、気づいたら暇さえあればアプリを立ち上げていて、ゲームに縛られた生活をしてしまっている。そういう束縛から離れてうまく楽しめる人なら問題ないのだろうけれど、ハマる人は注意が必要だ。私は間違いなく後者で見境がないから、ゼロか100かになってしまう。だから、アンインストールで対応するしかなかった。

だが、引継ぎIDを発行しており、完全にこれまでの積み重ねを消去したわけではない。つまみ食いくらいで楽しめる境地に達したら、またやってみるのも悪くないかななどと考えているのだが、そんな境地に達する日はやってくるのかしら。

 

後ろの座席は何をする人ぞ〜バスの死角〜

最近、バスに乗る機会が多いのだが、今さらながら気づいたことがある。電車と違って、バスは真後ろという100%死角に赤の他人が座るのが常であり、治安のよくない環境下で乗ったなら、かなり怖いだろうなということ。

今日、バスに乗っていて、真後ろの座席に座った人物が、何やらスプレーをどこかに向けてシューシュー吹きかけていたのが気になり、ふとそんなふうに思った。真後ろで起こっていることだから後ろを振り向かない限り確認のしようがないのだが、しかしながら、見ず知らずの他人に向かって180度体の向きを変えて向かい合うのは、それなりの決心が必要だ。

女性は少し間をおいては、どこかに向けてスプレーを吹きかけており、なんだか落ち着かなかったので、私は首を少し振り返り気味にして横に向け、女性の所作を気にしている素振りを見せることにして、女性に気になっていることに気づいてもらおうと試みた。すると女性は、(音から察するに)今度はほかの場所に向けてスプレーをシューシューやりだし、それを受けてか、後方の座席の男性が大きな咳払いをするのが聞こえた。直後の停留所でその人物は降車していき、その時初めて、件の人物がマスクをした女性だということを知った。真後ろの脅威が去ったのはよかったが、あのスプレーで一体何を吹きかけていたのだろう……。

でも、よくよく考えてみたら、電車に乗っているときでも、満員電車の中では、自分の真後ろに自分の方を向く形で他人が乗ることなど、ザラにある。そう考えると、日常は死角だらけで、潜在的な危険に満ちているんだよなと今さらながら思う。普段は、そうした状況を危ういとも思わずに過ごしているので、私たちはどんどん日常に潜む危険性に疎くなっているのかもしれないなぁ。

月島のもんじゃ屋であまり見かけない外国人観光客

インバウンド客であふれる箱根湯本

先日、箱根湯本へ行ったのですが、外国人観光客の多さに驚きました。よくよく考えてみれば、首都圏から近い距離に所在する歴史と知名度のある温泉地ということで、人気が出て当たり前。ガイドブックにも大きく出ているし、東京ー京都間の移動で足を伸ばす人も多いのだとか。

東京・京都はもとより、いまや国内の主要な温泉地や観光客はインバウンド客で溢れていますね。

都内各地も、ガイドブック片手に街歩きをする外国人がたくさんおり、新宿・池袋などは、もはや日本人より外国人のほうが多いのでは、なんて思うこともしばしばです。

飲食店などでも、高級店に限らず、どこで聞きつけるのか、ラーメン屋や居酒屋などの人気店に外国人観光客がいる姿も珍しくなくなりました。

なぜか月島のもんじゃ屋でみかけない外国人客

こうした中、都内有数のグルメスポット(?)で、一箇所だけなぜか外国人観光客の姿をほとんど見かけない場所があります。どこかというと、それは月島。都内というか、国内有数のもんじゃ焼き店舗の集約スポットであるにも関わらず、月島で外国人客の姿をほぼみかけないことを私はここ数年、ずっと不思議に思ってきました。たまにいることはいるのですが(観光客か日本在住者かはわからない)、都内各地の外国人比率と比べると圧倒的に少ない印象です。

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ダシがきいていて、トッピング具材の種類も豊富なもんじゃは、焼いても食べても楽しいし、ビールにも合うのに、なぜかなーなんて思っていたのですが、ひょっとして、ひょっとして……みた目がゲ◯に似ていてとっつきにくいから?などという仮説は以前からうっすらと頭の片隅に浮かんではいたのですが、見た目グロテスクでも人気の出た食べ物はけっこうあるように思います。それなのに、なぜにもんじゃだけ?

それとも、私が行く時だけ偶然、外国人客がいないだけで、通常はそれなりにいるのかしら。外国人観光客のメッカである浅草のもんじゃ屋には、なんとなくいそうだな。というわけで、ともかく、今度知り合いの外国人に聞いてみよう。

通勤ですれ違う人々

通勤時にすれ違う人たちを見ていると様々な想像が掻き立てられて、飽きません。

自宅から駅に向かう途中、そして電車を降りた駅から会社や取材先に向かう途中ですれ違う人たちには実に様々なタイプの人がいて、どんな仕事をしているんだろうとか、独身かなとか、小さな子どもがいそうだな、などと想像を巡らせるのは、何とはなしに楽しいものです。

家から最寄りの駅に向かう途中では、サラリーマン風の人が一番多いのですが、その人の服装や雰囲気をみて、あの人は学校の先生かな?、あの人は自動車などの整備工っぽいぞ、あの人はおしゃれだから美容師・スタイリストさんかも、あの人は個人事務所を経営してそうな雰囲気だから何かの士業に就いているのかななどと、あれこれ想像をめぐらせるわけです。

そうした人たちの中には勤め人らしからぬ人もチラホラいるのですが、ここ何年かでこの人はひょっとするとフリーランスなのでは、という風体の人が増えた印象があります(そもそも、朝の通勤時間にフリーランスの人が歩いているものなのかという話は置いといて)。

職場の最寄り駅から会社までは青山通りを歩いて行くのですが、洒落たカフェには、外国人客のほかに、必ずカジュアルな格好をしてPCを開いている人たちがいます。もちろん、そうした人たちがフリーランスで仕事をしている人ばかりということはないのでしょうが、いかにも何かの作業をしてそうだけど、どこに向かうでもなくゆったりと自分のペースでPCに向かっている人たちの何割かはおそらくフリーランスなのだろうなと勝手に想像して、勝手に羨ましがるーー毎朝そんなことを繰り返していました。

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最近では、週休5日で会社勤めをし、合間にフリーの仕事を入れる働き方に移行したため、自分もそちら側に片足を踏み入れたことにはなるのでしょうが、そのことで満足できるかと思いきや、収入が不安定気味なこともあり、なかなか落ち着いた心境にはなれません。

ですが、自分の興味・関心・価値観に従って、世界に目を見開き、稼いでやるぞと思いながら動くことは、思いの外充実した気分になるもので、長いこと止まっていた自分の時間がようやく動き出したかなという気がします。

 

ところで、朝の青山通りって、勤め人とフリーランスだけではなく、本当にいろいろな人が歩いていたりします。最近多いのは、やはり外国人観光客。もとより外国人はビジネスマンも含めてたくさん歩いているのですが、最近では観光バスで乗りつけるアジア系外国人から、少人数グループで旅行している欧米人のグループまで多様な観光客が闊歩しています。

そのほかに印象的なのは、赤坂界隈に居住し、駅からの通勤客とは逆に駅方面へ向かう通勤客。赤坂在住ということでさぞかし収入水準が高いのだろうななどと思ったりもするのですが、最近では職住接近を奨励して手厚い家賃補助を出す会社も少なくないそうで、そうした会社の社員はけっこう赤坂にも住んでいるのかもしれません。港区は子育て支援も充実しているそうで、子育て世代の居住者も増えているのだとか。

私の独断と偏見が混じりますが、印象として、そうした「逆方向族」の多くは、IT・Web関係、ファッション・デザイン関係、金融関係の勤め人が多いのかしら、なんて思いますが、実際はどうなのでしょう。

そのほかには、そもそも勤め人ではなく、フィットネスジムに向かうような中年のおじさん・おばさん、犬の散歩をしているセレブ、永田町に向かう代議士なども歩いていたりします。青山通りって飽きない通りだなと思います。

 

 

 

 

 

中国人観光客にみられる変化?

昨日、両親と電話で話した際、出かけた先の温泉地で、中国人の団体客と一緒の宿になったという話を聞きました。両親には、過去にヨーロッパ旅行に出かけた際も、彼の国の団体客と鉢合わせ、周囲を顧みずに騒ぐ彼らに大変煩わしい思いと、同じアジア人として恥ずかしい思いをしたという経験があったそうです。

それで、今回もそうなることを覚悟したようなのですが、実際には思ってもみなかった形となったようです。というのも、今回の団体客のマナーは格段によくて、大声で話すということもなく、宿泊客はみな気持ちよく過ごすことができたとのこと。父は、ここ数年の間に、驚くほどマナーの向上が進んだのだなと感心しておりました。

 

そういえば、ここ何年か、街ですれ違う中国人観光客らしき人たちの間に、いろんな変化がみられるようになってきたように思います。まあ、もともとマナーの悪くない人も少なくなかったのではないかとも思うのですが。一度、大まかなイメージができてしまうと、どうしてもそれに引きずられる部分が出て来るのは仕方のないことなのかもしれません。

聞くところによると、数年ほど前から、同じ中華圏の香港や台湾からやってきた観光客が、マナーの悪い中国人客と同一にみられるのが嫌なため、旅行先で声を潜めて話すということがあったとか。本当のところは知りませんが、そういえば、2、3年ほど前、日本橋にある天丼の有名店に行った時、そこで連れと一緒に行列に並んで相席したもう片方のカップルが、中国語を話す男女でした。

彼らは、わざわざ声を潜めて話していたため、とてもシャイな印象を受けました。同じテーブルについても、終始つつましげで遠慮深く振る舞っていたため、なんとはなしに好印象を持ったのですが、その一方で、せっかく異国に旅行にきたのだから、少しくらいはしゃいでもいいのに、かわいそうだなと思ったのを覚えています。このとき、私がかわいそうと勝手に思ったのは、やはりちょうどこの時期くらいから、中国人観光客と同一視されたくないがために小声で会話する中国語圏の観光客が海外で増えているという話を聞いていたからでした。

この二人が実際、どこの国の人たちだったのかは知りませんが、こうした話を聞いていたがために、私と連れは、彼らは中国語圏からやってきた中国本土とは別の国・地域の人だと一方的に思ったということなのでしょう。言ってみれば、これも一つの偏見なのだろうなと思った次第です。

 日本が本当に世界に冠たるマナー大国なのかというと、それもけっこうピンきりだったりケースバイケースだったりするしな、とも。それについてはまた、後日改めて書いてみようと思います。